学校の存在意義

あなたは学校が社会生活を始めさせる第一歩であることを忘れていませんか?

人は社会で生きていくものですから、社会訓練が必要です。社会が安全で、幸せだらけのところなら、社会訓練はいりません。社会は、一人一人が、自分が生き延びるためにいろいろ工夫をし、術策を練り上げ、相手を負かそうとし、人を愛したくても愛されなくて泣くようなところです。

それゆえに、社会訓練というのは、他人を知り、そこにある友情や悪意も、自分の間違いを指摘され、治そうと努力できる人間になるところです。宮本武蔵の言葉を借りれば、鍛錬と訓練をしてもらうところが学校であると、当校は考えています。

子供への愛情の中に、自分の子供がいかに不完全な生き物かという自覚が全くない父兄が増えています。

自然界の動物は、シビアな環境を十分に知っています。法律も警察もない動物社会では、守るだけが子育てではないことを動物は知っています。現代の便利文明と、人間には生きる権利がるという間違った権利思想に毒された方々は、社会とは何なのかと考える力はもうないようです。

安全ばかりで子育てをしていると、厳しい学校にきて、泣いてばかりいる子供ができます。

勉強は、知識を頭に入れることだけと思う人がなぜ多いのでしょうか。勉強は、まず、人間の無知を知り、人間の弱さを知り、人間のエゴの醜さを知ることから始まります。

それは、叱られること、正されること、知る方法が間違っていることを指摘されることで、あなたは「知らない」、「間違っている」、「自分ばかりをかわいがっている」と自分の醜さを知るのが勉強です。

よって、泣いている暇も、自分がかわいそうだと思う暇もないはずです。

当校は、社会生活の第一歩を実体験を通して学ぶ場でもあります。